社長や先生という言葉が持つ響き
家業の代表取締役を退任して7年以上経ちました。
未だに社長と呼ばれることがあります。
士業の場合
士業の場合、
顧問先から「先生」と呼ばれることがあります。
昔はネットで検索などできなかったので、
士業の頭の中にある知識は貴重なものだったのでしょう。
文字通り、先生であったわけです。
ところが現在は違います。
表面上の法律の知識くらいであれば、
誰でもGoogleで検索して情報を得られる時代です。
まとめサイトなどもありますので、
「問題従業員への対応方法」
「未払い賃金を請求されたらどうすればいいか」
「退職時にどのような事務処理が発生するか」
といった程度の困り事であれば、
わざわざ士業(この場合は弁護士や社会保険労務士)に
お伺いを立てる必要もないわけです。
このような時代になっているのに、
顧問先から「先生」と呼ばれて平気な顔をしていたり、
同業同士で「先生、先生」と呼び合っているのは滑稽。
現在の士業は
かつて正真正銘の「先生」であった頃以上に
顧問先に価値を提供できているでしょうか。
独占業務にあぐらをかいていたり、
リーガルテックやHRテックで代用可能な作業だけを行い、
顧客から存在意義に疑いを持たれていないでしょうか。
「先生」と言う言葉には魔法の響きがあります。
しかしその魔法は、
提供する価値があってこそ通用するもの。
ちなみに私は先生と呼ばれたくないので、
名前で呼んでくださいとお願いしています。
地方中小企業の経営者の場合
代表取締役であろうと、
取締役社長であろうと、
代表社員であろうと、
私は「社長」とお呼びすることにしています。
今までこのやり方で
怪訝な顔をされたり、
お叱りを受けたことはありません。
地方中小企業の経営者=社長なのです。
ところで、
ある国の首相経験者の心境は
「ドス黒いまでの孤独」だったといいます。
地方中小企業の社長も程度の差こそあれ、
同じようなものです。
・思うようにならない売上
・従業員から配置転換の要望
・仕入先との価格交渉
・来客前の玄関とトイレ掃除
・数ヶ月先の資金ショートへの対応
・問題従業員のサボタージュ
などなど、
大小問わず、
ひとつひとつは対応可能な事案であっても
すべてが社長の背中に被さってきます。
これらを完全に共有できる役職は
他にあり得ません。
経営トップの社長のみが責任を負っています。
私にとって、
「社長」という言葉の響きは
この重苦しい責任とイコールです。
周囲はとりあえず
「社長、社長」と
呼んでくれるわけですが、
本人にとっては
ドス黒いまでの孤独を象徴する言葉。
もちろん最後まで支えてくれた
仲間や先輩はいましたが、
経営トップであるということは
その上に頼ることができる人はいないのです。
逆に言えば、
責任を背負う覚悟と能力があると
認めてもらえているからこそ
周囲から「社長」と呼ばれるのかもしれません。
退任してからも「社長」と呼ばれる
私が代表取締役を退任したのが
2015年3月。
もう7年以上経っていますが、
元従業員や仕入先様からは
今でも「岡田社長」と呼ばれることがあります。
退任当初は
「もう社長ではないですよ」
などとお返事していたのですが、
それでも構わず社長と呼ばれることがあり、
戸惑いました。
先生と呼ばれたり、
社長と呼ばれたり、
岡田と呼ばれたり。
声の掛けられ方は様々ですが、
第二の社会人人生を歩めているからこそ、
必要とされるものだと実感しています。
名実ともに社長であった
あの頃は遠くに過ぎましたが、
言葉の響きに懐かしさを感じながら
そろそろ京都へ
墓参りに行こうかなどと考えています。
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