見せてよいもの、いけないもの
ひさしぶりにSNSで見てはいけないものを目撃してしまいました。
スケジューラーを全世界に向けて発信
ある大企業にお勤めの人がInstagramで自分のスケジューラーの画像を公開していました。モザイクを掛けるなどの配慮はしておらず、打ち合わせ相手や訪問先の固有名詞が容易に読み取れる状況です。サラリーマンであることを公表しているので、スケジューラーは勤務先のシステムと思われます。このあと社内で問題にならないだろうかと心配になってしまいました。
さらに言うと、スケジューラーを写しているのと同時にモニターやデスクの周りも写りこんでしまっています。悪意のある人が見つけたら何らかの情報が得られるかもしれないと考えると、職場の様子をSNSで公開するなんて狂気の沙汰です。大企業にお勤めなのでコンプライアンス研修など受けているのでしょうが、あまりに無防備な発信に驚いてしまいました。
SNSが怖いのは自己顕示欲というか承認欲求を満たす場になってしまうこと。この人も自分の来月の予定が詰まっていることを嘆くような調子で投稿していましたが、なんとなく仕事が忙しい様子を誰かに見せたくなってしまったのでしょう。他の画像ならばともかく、スケジューラーの画像を他人に見せるなんてちょっと行き過ぎてしまった感があります。
息子と話していると、学校でスマホやSNS関連のトラブルは日常茶飯事のようです。失敗して学びにできているうちは笑い話で済みますが、深刻なことをしでかしてしまうとその後の進路に影響しかねません。そのあたりしっかり言い聞かせているので信頼していますが親としては学校の様子を聞くと心配になってしまいます。
人と人が繋がる道具としてのSNSは貴重なもので、この先も無くなることはないでしょう。ただし、間違った使い方をしてしまうと厭らしさが鼻についたり、無用のトラブルを招き寄せてしまいます。メールと同様に、投稿前に指差し確認するくらいの余裕が必要でしょう。
茶道のお稽古
先日の茶道のお稽古で話題になったのが、動画撮影。お稽古の様子などを動画で撮影するのはできないことになっていて、それが今のお家元の方針だといった話になりました。また、入門したばかりの時に先生に言われたのが、「他の流派の動画を見ると間違えて覚えてしまうからやめておきなさい」というもの。流派によって所作が異なるので、他の流派の動画を見てしまうと変な影響を受けてしまうというのです。
最初のうちは動画で教えてくれたらいいのになどとも考えましたが、口伝は口伝で趣深いものです。効率だけを考えたら動画を配布したらよいのでしょうが、その時その場でしか教えていただけないというのはすべてをスマホに頼ってしまう現代では逆に新鮮に感じられます。
年始のイベントでお点前をさせていただけることになっていて、ここ数回、特訓が続いています。普段は1回しかお点前しない日もあるくらいなのに、3回もお点前をしてしまったら疲労困憊。こうした刺激は普段の仕事では絶対に得られないものなので、貴重なリフレッシュにもなっています。
経営者が見せてはいけないもの
ある経営者が資金繰りに窮していることがわかりました。話を聞きに行くと、「何をしたらよいかわからない」と従業員の前で私に話しかけてきます。普段は快活な方なのに、倒産の危機が目の前に迫ってきて頭が真っ白になってしまったようです。
どんなに苦しい状況に陥ったとしても、従業員の前で白旗を掲げてはいけません。経営者はビジョンを実現するために常に先頭に立つのが役割。その経営者が進路に迷っている姿など見せたら、従業員も一緒に困り果ててしまうだけでしょう。
それにしても、「何をしたらよいかわからない」とは恐ろしい言葉です。経営に100点満点の打ち手などなく、常に60点とか65点の打ち手を繰り出し続けるものだと思っています。次の打ち手が思い浮かばないということは点数すら付けられないわけで、経営者の資質に問題ありと言わねばなりません。どんなに素晴らしい学歴があったり、資格があったりしても、それだけで見事な経営ができるわけではありません。どのような状況に置かれても前に進んでいこうとする気概がまずは必要でしょう。
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