自然体で人と向き合うために

今でこそ経営者と対話することを生業にしていますが、かつては人と話すのが大嫌いでした。どれくらい嫌いかというと、初対面の人ばかりの飲み会の席で「君はまったく自分の話をしないね」と言われてしまうくらい。そんな私が人付き合いを円滑にするために心がけていることを書いてみます。
うまく話そうとしない
上手にお話しする人や声が大きい人を見かけると、今でもうらやましく感じます。私の話し方はぼそぼそとしていますし、大きな張りのある声を出すこともできません。以前はそうした自分に引け目を感じることもありましたが、家業の代表取締役を務めていた頃から「自然体で話すのが一番」だと考えるようになりました。
どうやら中身のない人に限って、話し方でごまかしたり、声を大きくしようとしたりするようです。例えば、以前に落語家のような話し方を真似していた人物がいて「胡散臭いなぁ」と感じたことがありました。ご自分の背景の薄さを隠すために、話し方のテクニックでごまかそうとしていたのでしょう。しかし本質的な部分までは覆い隠せず、妙な話し方と相まって独特の負のオーラを発していました。
伝えたいことがあるなら、話し方や声の大きさは関係ありません。自分の言葉で伝えようとする勇気さえあればいいのです。
ちなみに私は人前で話す仕事をすると、必ず喉を傷めてしまいます。そのため、のど飴と水分補給は必須。さらに喉に直接スプレーする薬(昔よくCMで流れていたもの)も併用します。それくらい消耗するので、講演の後の懇親会が苦手で、できればさっさと解放していただきたいといつもお願いしています。
失敗体験を隠さない
人は自分を他者に良く見せたいと願うものです。ところが私の場合は隠しようもない壮大な失敗をしでかしています。江戸時代から続く家業を投資ファンドへ事業譲渡したという経験があるのです。さらにこの事案を寄稿したり人前で話したりしているので、今さら隠すことは不可能。多くの人が失敗体験を隠そうとしているのに、私の場合は隠しようがないのです。
ところがおもしろいことに、自分から失敗体験を語ると、共感し応援してくれる人が次から次へと現れることに気づきました。誰かの役に立ててもらおうと事業譲渡に至る経緯を話していたのが、なぜかその後の第二の社会人人生を歩むのに大いに役立ってしまったのです。
どうしてこんなことになったのか考えてみると、多くの人が失敗体験を語らないから、逆に珍しい存在になってしまったのでしょう。自分の最も弱い点をさらけ出しているので、警戒心を抱かれないのかもしれません。人によく見られたいという気持ちを捨てたことで、コミュニケーションが円滑に図られるようになりました。
人には誰しも大小さまざまな失敗体験があるはずです。それを隠して自分を良く見せようとするのか、さらけ出して生きていくのか。私は期せずして後者の道を歩んでいます。

マイクを持つと緊張します
感性が合わない人とは縁を切る
こうして社会人人生を歩んでいると、どうにも感性の合わない人というのが現れます。大きな声で交渉して無理に言い分を通そうとする人、ルールを守らずに自分の利益ばかりを考える人、他人の資源を無償で奪おうとする人。私はこうした人とはまったく感性が合わないので、もし出会ってしまったら関わらないようにしています。最初はつながりを持ってしまったとしても、正体が分かった時点でばっさりと縁を切ります。
ある経営者は、一緒に飲みに行く分には楽しかったのですが、そのうちに無償で私の知恵とアイデアを引き出そうとするようになりました。向こうからすれば「仲が良いのだからこれくらいタダで教えてくれ」という感覚だったのでしょう。しかし私からすれば、顧問先の経営者が決して安くはない顧問料を支払って得ている知恵とアイデアを搾取されているように感じてしまいます。そうなったらもはや付き合いきれません。今ではまったく没交渉になっています。
誰とでも仲良く笑顔で付き合うことなんてできません。どちらかに必ず負担がかかっているものです。その負担を負担と感じ始めた時点で、私は距離を置くことにしています。冷たいようですが、お互いのミスマッチを防ぐことになりますし、何より大事な人へより多くの時間を割けるようになるのです。
関連記事