ChatGPTをどこまで用いるか

生成AIについて考えさせられる出来事が続きました。
メールのやり取りで感じた違和感
ある人とメールをやり取りしていたら、文章がどこかぎこちないことに違和感を覚えました。ひとつひとつの言葉に間違いはないのだけれど、「微妙に伝わらない日本語」なのです。それっぽいことが書いてあるものの、地に足がついていない感じが伝わってきました。
そこでそのメールをコピーペーストしてChatGPTに尋ねてみました。このメールはChatGPTなどで書いたものですか、と。答えはAIで書かれた可能性はあるが断言はできないというものでした。
その理由は3つ挙げられていて、ひとつは論理構成がAIライクであること。「前提として」「現状」「そこで、2点提案します」など文章の展開が構造的だというのです。次に意味がやや通じづらく、日本語が微妙であること。AIが文脈のつなぎ方をうまく処理できていない時に表れがちな表現が用いられているとの指摘でした。最後に、表面上はやわらかく見せているが、一貫したことを主張しているというもの。こうして具体的な理由を挙げられると、やはりAIが書いた文章をベースに、誰かが手を入れたものなのだろうなと考えてしまいました。
メールを書くのにChatGPTを用いるのが悪いとは思いません。それで何かが効率化されるなら、使える道具は使えば良いと考えます。ただ、AIにメールを書かせて、伝えたいことが伝わらないのであれば意味がありません。さらにAIが書いたメールだと簡単にバレてしまうと、受け手は現実感を見失い、なんのためにやり取りをしているのかわからなくなります。
AIが身にまとうことのできない個性を前面に出す
このところ私はChatGPTの有料プランに入っています。壁打ち相手にしたいからで、重宝しているところです。ただし、思考や文章作成を丸投げするような使い方はしていません。隣にいる同僚に「この線で進めれば問題ないよね」と確認するくらいの感覚でChatGPTを用いています。
日本経済新聞に、幅広い領域で人間並みの知能を持つ「汎用人工知能(AGI)」は数年内に登場すると書かれていました。それらしく何かを考えているだけなら人間の居場所は無くなるということ。AIが身にまとうことのできない個性を前面に出して、自分の居場所を作っていかなければいけません。
またさらに言えば、社会人として一人前になるためのトレーニング期間は、これからは満足に確保できなくなることでしょう。なぜなら半人前の社会人にコストを掛けて仕事をさせるくらいであれば、AIに任せた方が手っ取り早いから。今後、少子化の進展と同時に新卒採用の枠はより限られたものになり、それなりの社会人経験のある人へ仕事が割り振られていくことになるでしょう。
AIがどっと押し寄せてきつつある今、振り回されずに今後の社会の行く末を見定める必要があると思っています。この先、どうなっていくのか、そこでどのように立ち回るのか。ぼやっとしていると、食べていけなくなってしまいます。

AI搭載のものが増えていくのでしょう
初めてのチャットインタビュー体験
カメラメーカーから「チャットインタビュー」の案内が来ました。私のカメラ(富士フイルムのX-T50)に関して生成AIがユーザーインタビューをするとのこと。ここ数年、腰を据えて使ったカメラがなくて、ようやくしばらく使ってみる気になれたカメラです。初めての富士フイルム機ということもあり、インタビューに対応する気になりました。
所要時間は15分くらいで、なんでそのカメラを選んだのかだとか、どこを気に入ったのかといった質問が続きました。いずれの質問にも簡潔に答えていたのですが、同じような質問が繰り返された場面も。Googleフォームのような選択式の回答ではないので、どのようにデータとして生かされるのか興味深いところです。
先日、知り合いの経営者さんに尋ねたいことがあったので個別に連絡を取って回答してもらったばかりです。質問の趣旨だとかを伝えて、あとは自由に返信していただくという形式にしました。そんなことをしたばかりでしたので、今後、このチャットインタビューというのが広まっていくのか興味があります。
ちなみにチャットインタビューの回答後には謝礼受け取りのための情報を登録するのですが、何かの不具合で完了することができませんでした。せっかく回答したのにと怒っている人がいそうです。
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