一物二価は悪いことか

今日は土曜日なので最近考えていることをつらつらと書いてみます。
食べるスピード
サラリーマンの頃に鍛えられたおかげで食べるのは早い方だと自負していましたが、息子とラーメンを食べた時に彼の方が食べ終わるのが早くて驚いてしまいました。そういえば、歩く速度も昔ほどではないのかもしれません。この頃は繁華街を歩いていて、若い人に追い抜かされることが増えてきたように感じます。
先日、ある経営者さんがぎっくり腰になってしまいました。数日で復帰できたので安心しているところですが、そういえば私はぎっくり腰とは無縁。たまに違和感を覚えることくらいはあるものの、一晩寝たらほぼ治ります。これまではそうした自分が当たり前だったのに、今後はそうは行かないかもしれません。食べるのが遅くなり、若い人には追い抜かれるくらいなのですから。
自分の職務経歴書を見直す機会があり、これまでの社会人人生の節目で自分が何歳だったのか再確認してみました。就職したのが24歳(留年したので1年遅れ)、家業を事業承継したのが33歳、投資ファンドへ事業譲渡して家業を離れたのが38歳、中小企業支援家に転職したのが40歳。少し前まで20代だった気がするのだけど、こうして振り返ると今年で48歳になるのも納得せざるを得ません。
加齢に抗うつもりはなくて淡々と受け入れるのみ。関与先では若い人に馴れ馴れしく話しかけないように気をつけていますし、無駄な故障をしないように日々の(簡単な)トレーニングも怠りません。もう48歳。これまでは「社会人人生が後半に差し掛かっている」などと言っていましたが、人生そのものも後半に入っているのは間違いなさそうです。
一物二価
息子のイヤホンが壊れたからと新しいものを買わされました。通りかかったAnkerの直営店で販売価格を確認すると15,000円弱で、念のためAmazonを見てみるとセール中で12,000円弱。お店の方には申し訳なかったですが、店を出てAmazonから購入させてもらいました。
こうした「一物二価」は、例えば百貨店では嫌われます。同じ商品であれば、全国どこででもECも含めて同じ値段にしてほしいというのが百貨店側の希望でした。そのため、どこか特定の販路でだけ値下げしたりすることのないように、かつての家業でも気を使っていたものです。顧問先でも同じで、百貨店と取引のある会社は一物二価にならないように神経を尖らせています。
ところが今ではAnkerのように、一物二価は当たり前になりました。高値で買ってしまったら、消費者のリサーチが足りなかっただけという認識が共有されつつあるように感じます。もはや、価格を戦略的に使い分けることで、店やブランドの信用に傷がつくなんてことは無さそう。かつての常識が今ではもはや常識では無くなっているということで、経営者の感覚も時代に取り残されないようにしなくてはいけません。

天神地下街を歩きました
トップ同士のやり取り
アメリカのトランプ大統領とウクライナのゼレンスキー大統領が会談で激しい口論となったそう。事前に根回しができていなかったのか、そもそも合意するつもりがどちらか(あるいは両方)になかったのか。いずれにせよ、戦後数十年の当たり前であったことが通じない時代に突入しているように感じます。
トップ同士で感情的なやり取りを避けた方が良いのは地方中小企業でも同じ。私も家業の代表取締役を務めていた当時、節度を持って、他社の経営者へは謙虚に接してきたつもりです。
ただ、一度だけ、他社の経営者とお話ししていた際に取引停止を申し伝えたことがあります。家業の業績が悪化してきた中で、取引先のうち一社だけが、「うちだけ取引条件を優遇してくれ」と言ってきたのです。事前の根回しなどは一切なしで、先方の経営者が来訪してきて伝えられたもの。その場で私は「一社だけ取引条件を変えるつもりはない、そういう(下品なことを考える)会社との取引は継続できない」と即答させてもらいました。
お互いに穏やかな口調ではあったものの、内容はどぎついものとなってしまいました。こちらから譲る考えはまったくなかったので放置しておいたところ、数ヶ月経って先方の経営者が謝罪に訪れました。それで取引は再開することとしたのですが、ずいぶんと思慮の浅い経営者だという印象はその後も変わりませんでした。
私は日頃から謙虚な態度を心がけていますが、そうした態度でいると、ごくたまに何かを勘違いした輩が突っかかってくることがあります。そうした組織や人とは付き合うつもりはなくて、やられたらやり返すのみ。頭を下げているからといって、無理難題を押し付けるなどできると思ったら大間違いです。
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