いつかは役割を終えるべき道具
今日は土曜日なので最近考えていることをつらつらと書いてみます。
ご飯の量を減らしている
白いご飯が大好きで、以前は夕飯でおかわりが欠かせないくらいでした。ところがふと食べ過ぎであることに気付いて、おかわりを止めたのが3年前。最初のうちは物足りなかったものの、いつしか慣れてしまいました。さらに先週、風邪を引いてからはご飯茶碗に半分の量に減らしていて、まったく問題なく食事を楽しんでいます。徐々に胃が小さくなってきているようで、自然とおいしく食べることができる量も減ってきているようです。
体重はもう10年以上維持していて、なんとか増加を食い止めています。運動する量は増やしているのに維持がやっとなので、代謝が落ちているのでしょう。この一週間は風邪のせいで運動が足りていなくて、なんだか体が重い感じ。実際の体重は少し減っているくらいなのですが、感覚的には1,2kg増えているように思えます。今日あたりからスピンバイクを再開しようと思っていて、1週間分の負けを取り戻さなければならないと少し焦っています。
ちなみに私が使っているご飯茶碗は数年前に陶芸教室で作ったもの。作ったといっても電動ろくろで成形しただけです。息子が陶芸をやりたいというので連れて行き、なんとなく私も一つだけ作ってしまいました。このままご飯の量を減らそうと考えるのであれば、ご飯茶碗を小さいものに変えた方が良さそう。次はうちの15代目に作ってもらいましょう。
土曜日の午後はお茶のお稽古
これからお茶のお稽古に行ってきます。先週は風邪で休んでしまったので、いろいろ忘れてしまっていそうです。雨が降ってきているので、着物は止めておきましょう。
小学生の頃は土曜日の午後にスイミングスクールへ通っていました。送迎バスで隣町まで行くのですが、バス停まで行くのが嫌で嫌で仕方なかった記憶があります。いざバスに乗ってしまいプールで泳げばそれなりに楽しいのに、なぜか家からバス停までの道がはてしなく長く感じられたものです。
長く続けたおかげで、バタフライも泳げるようになり、選手育成コースには進みませんでしたがその後の人生で泳げなくて困ることはありませんでした。高校ボート部で泳げない同級生は水が怖そうでしたし、シーカヤックで再乗艇の練習をしたときも低体温症になりかけはしましたが溺れるようなことはありませんでした。
自分がそうした経験をしているので、息子にもだいぶ小さいときからスイミングスクールに通わせていました。私とほぼ同じで中学校に入るまで続けて、バタフライを習ったところで退会。彼もこの先、泳ぐので困ることはないでしょう。
手取り足取りすることは支援にはならない
先日、ある経営者から「某機関の補助金について知りたい」と相談を受けました。これに対し私は、「その機関に直接問い合わせてください」とお答えしました。
このように一次情報に当たろうとせずに、第三者の怪しげな情報に頼ろうとする人の考えが理解できません。この経営者の場合は某機関担当者の名刺も持っていて、連絡先がわからないという言い訳もできません。私を頼ってもらえるのは(少し)うれしいのですが、掛けるべき手間を掛けずに補助金をもらおうという姿勢は疑問に感じてしまいます。
中小企業支援に携わっていると、事業者の支援にならない支援らしきものが蔓延っていることに時に驚かされます。支援する側に「軸」や「志」がないと、手取り足取り何でもしてしまい、経営者の行動力や思考力を奪ってしまうという本末転倒の事態になりかねません。
中小企業支援家に転身してすぐの頃、新聞記者さんからインタビューを受けたことがあります。初期の地方創生関連の取り組みだったので、地方自治体が事業相談窓口を設置したというだけでそれなりに話題になりやすかったのです。
ひとしきりやり取りを終えたあと、記者さんから「この事業相談窓口をどうしていきたいか?」といった趣旨の質問をされました。私は「いつかは役割を終えるのが目標」と答えました。地域の事業者が誰かに頼らなくても事業を成長させることができれば、それが理想の姿。いつまでも中小企業支援が必要とされる状態は決して健全であるとは思えなかったのです。この考えは今でも変わりません。主役は事業者であって、支援する側は使われる道具に過ぎません。いつかは役割を終えるべき道具なのです。
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