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コラム

高齢女性の手のひらを見せてもらった話

商業施設の入り口でドアを押さえたら、高齢女性に感謝してもらいました。

ドアを押さえる

今日の出来事です。商業施設の入り口がやや重いドアになっていたので、後ろを振り返って高齢女性のために押さえて待っていました。すると彼女が私のすぐ横に来た時に手のひらを見せてきて、「手がこんなだから、ドアを押せないので助かった」と言ってもらえました。自宅の最寄り駅だったので最初はどこかで会ったことのある人かと思いましたがそんなことはなく、わざわざ言葉を掛けてくれたのです。

ぱっと見たところではわかりませんが、手が少し変形していたようでした。そういえば私の祖母や母もそんな感じです。茶道教室のお姉様方もそんな話をしていたかも。ドアを押さえたくらいでわざわざお礼を言われたのは初めて。ドアを押さえるのってマナーの一つだと思っているのですが、自分が通った後に後ろに人がいないか振り返る人は多くなさそう。

他者を気遣うというのは誰かのためにすることではなくて、自分のためにすることだと思っています。大したことのない行動で丁寧に感謝してもらえるなんて、こんなにうれしいことはありません。ちょっとした気遣いでお礼を言ってもらえて、その後は気分良く過ごすことができました。ただ同時に、当たり前のことをしてお礼を言われてしまい、少し複雑な気持ちにもなってしまいました。ドアを開けたら後ろの人のために押さえてやる。それだけで誰かが少し幸せになれます。

バスの運転手さんにお礼を言う

バスを降りる時に「ありがとうございました」と言うようにしています。運転して目的地まで運んでくれたからお礼を述べているだけです。バスが好きというのもありますし、私も大型二種免許を持っているというのも影響しています。もし中小企業支援や社会保険労務士で食べていけなくなったらバスの運転をするかもしれません。そのうち自動運転がバスにも普及するのでしょうが、まだしばらくは人間が運転する必要がありそうです。

ところが、他の乗客を見ているとなかなか態度が悪い人もいて驚くことがあります。ICカードを叩きつけるようにして降りて行ったり、無言で立ちはだかって何かの対応を要求したり。ただでさえ運転に気を遣ってくれている運転手さんも、これでは疲弊してしまいますね。不愉快な客はもはや客ではないのだから、バスから叩き降ろしてしまえば良いのにとさえ思います。

人手不足や都市への一極集中が進むと、そのうちにバスに乗れることが当たり前でなくなるかもしれません。とんでもない態度を取る人々はそのとき何を思うのでしょうか。

ちなみに私が大型二種免許を取得したのはまだ雇われる立場で働いていた時のことです。漏れ伝わる情報から家業の業績が思わしくないことはわかっていて、万一、会社を追い出されるようなことになったらバス運転手をしようと考えたのです。教習は楽しく、仕事帰りにバスを運転できるだけでも充実した時間でした。その上、免許を取れるのですから良いお金の使い方をしたと思ったものです。

免許を取ってからはバスを運転する機会はまったくなく、たまに誰かに免許証を見せて自慢するくらい。その後は家業の代表取締役を務め、さらに中小企業支援家に転身してしまいました。我ながら不思議な社会人人生を歩んでいます。

重いドア

こういうドアって重いですよね

社会は誰かが働いてくれているおかげで成り立っている

社会は誰かが働いてくれているおかげで成り立っています。「カネを払っているのだから頭を下げる必要はない」と考えるのは自由。でもそんな偉そうにしていて、あなたは一人で生きていけるのですかと聞きたいです。

ある人物は某業界でそれなりに有名でしたが、見る見る増長していきました。例えば、電話を掛けた時に早口で名乗って相手が名前を聞き取れていないことがわかると、「俺のことを知らないのか」と大声を出すくらい。たまたまその時に近くにいて唖然としてしまいました。そのうちに不正行為に関わっていたことがわかり失脚。それまで我慢して付き合っていた人や組織があっという間に離れて行ったのが印象的でした。

自分の人生は自分が主役ですが、社会の中では数十億人の一人に過ぎません。他者を尊重できない人は不愉快を通り越して、滑稽に見えてしまいます。自分だけ通ることができれば良いとドアを押さえなかったり、バスの運転手さんに横柄な態度を取ったり。そうした人間にだけはなりたくないですし、息子には小さい時から背中を見せてきたつもりです。


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