「私の履歴書」をどう読むか
日本経済新聞を読み続けています。最終面に連載されているのが、経営者などの一代記である「私の履歴書」。今月は楽しみに読ませてもらっています。どのように読んでいるのかを書いてみます。
読み飛ばすこともある
日本経済新聞の最終面に掲載されている「私の履歴書」、今月は面白く読ませてもらっています。
「今月は」というのは読まない月もあるから。日本を代表するような大企業のサラリーマン社長だった方の文章は心に刺さることがないので、いつからか読まないようになってしまいました。例えば子会社で経営経験を積んだというようなことが書かれていても、所詮は親会社の傘の下で事業の一翼を担っていただけ。便宜上、独立した法人のような体をとっていただけで、実態は一部門に過ぎません。大企業の仕組みの中で活躍されたことは尊敬しますが、胸弾むようなご経歴かというとそこまで共感することはありません。
また、学者の一代記も没入できないので読まないことがほとんど。私の知らない世界の仕組みを垣間見ることができる程度で、元茶わん屋には縁のない世界です。つい最近連載されていたある人は元部下?に対する偉そうな感じが鼻につき、途中で読むのをやめてしまったことがあります。
毎日、日本経済新聞を読んでいる私にとって、「私の履歴書」を読むか読まないかだけでも負担は大きく変わります。月初にどなたが連載するのだろうと確認する時、興味が湧かない方であれば「今月は読まないで済む」とどこかホッとしますし、今月のように勉強になりそうな方の場合は「気を入れて読まなければならないな」となります。
今月はおもしろい
今月の「私の履歴書」は投資会社KKRの共同創業者兼会長、ヘンリー・クラビス氏。どのようにして投資会社を興し、PE投資に注力するようになったかがこれまでのところ綴られています。私も江戸時代から続く家業を投資ファンドにお渡しした経験があります。どこか他人事と思えず、興味深く読ませてもらっている日々です。
私が取引した相手先のファンドも「企業価値を高め、3年くらいで新しいオーナーに売却します」と公言していました。もうすぐ10年を迎え、どうやら異例の長期にわたって関わってもらっているよう。もうご縁の切れた会社ではありますが、どうなっているのかと心配しています。
経営に絶対はないと思っていて、それは企業の浮沈を眺めていても明らかです。どの経営者も不確かな未来に向かって、経営判断という名の予測を下し続けています。後から振り返ればなんとでも評価することは可能ですが、当事者はさまざまな変数に目が眩むような思いをしながらも、進路を探り続けています。
経営者の一代記というと必ず最後は成功して終わるものですが、その裏には同じ数以上の失敗や悔しい思いが埋もれているはず。「私の履歴書」を読む時は、そんなことを考えながら読むようにしています。
毎日、日本経済新聞を読むということ
日本経済新聞を毎日読むというのはそれなりに労力を必要とすることです。ささっと目を通すだけでも一時間はかかりますし、日経MJも併せて読むとなるとさらに時間を要します。それでも私が読み続けているのは貴重なインプットの機会だから。元茶わん屋が中小企業支援に携わり、さまざまな業種の経営者と対話を重ねるためには基礎的な共通言語が必要で、日本経済新聞は私にとってちょうどよい媒体なのです。
といっても、経営者との対話の中で「新聞に書いてあったからこうです」などとひけらかすようなことはしません。最初の挨拶で「今朝の一面にこんなことが出ていましたね」などと雑談のネタに使うことがある程度。日本経済新聞はあくまで基礎的な素養を身につけるためのインプット源で、教科書のような使い方はしていません。そもそも中小企業支援に定型的なノウハウなんてありませんし。
いま出張で顧問先へ向かっているところです。今日のような日はいつものように午前中に新聞を読むことができず、明日まとめ読みすることになります。となると明日は2時間くらいは時間を作らなければいけません。2日分の朝刊と日経MJを読むのです。何日分も溜まると大変なことになるので、明日の時間の使い方が重要です。日本経済新聞を読むというのは、私にとっては鍛錬でもあるのです。
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