創業しようとしたときにふと考えること
もうすぐ47歳になりますが、残りの社会人人生を考えると、そろそろ新たな挑戦を始めたいと考えることもあります。中小企業支援家でもある私が自ら創業しようとしたときに、どんなことを考えているのか書いてみます。
自分のものが欲しい
ある映画を見ていた時に、主人公が事業を買収しようとして交渉した際に「自分のものが欲しい」と理由を語っている場面がありました。ドキュメンタリーでもなんでもなくアクション映画だったのに、なかなか深いセリフだなぁと感じました。私も中小企業支援は続けつつ、いつかまた自ら経営に携わりたいと考えています。なぜなら「自分のものが欲しい」からなのかもしれません。
家業の代表取締役を5年間勤めていましたが、家業を「自分のもの」と考えたことはなくて、ご先祖様から受け継いだものであり、また過去からの従業員が築き上げてくれた預かりものといった感覚でした。たまたま私が代表取締役に就く番が来ただけのことで、義務感に駆られて役割を果たしていたというのが率直なところです。
先日、元従業員さん達と飲む機会があり、事業譲渡に至った当時の話も少し出ました。私が就任した時点で既に会社は窮境に陥っていたと言われてしまうと、今さらながら何かをやりきれなかったような気持ちにさせられました。彼ら彼女たちはもうリタイヤしていてもおかしくない年齢です。ただ、私はまだしばらくは現役で稼ぎ続けなければいけません。であるならば、社会にイノベーションをもたらす「自分のもの」を持ちたいのです。
地方中小企業の経営者や創業を志す人と対話する今の仕事をとても気にいっていて、この仕事を続けるためにも「自分のもの」を持つ必要があると考えています。私に経営経験があるといっても、それはすでに9年前の出来事です。いつしか教科書に書いてあるようなことだけを偉そうに話す中小企業支援家になってしまわないか、自分自身を心配することがあります。そんな胡散臭い専門家らしき人にならないためにも、自ら実業も手がけるというのは、間違いなく中小企業支援に生きることだと考えています。
誰かに話を聞いてもらいたい
家業で代表取締役を務めていた時いつまでも売り上げを回復させることができず、ある公的支援機関の窓口に相談に出向いたことがあります。売り上げを回復させるためのヒントを得られないかと考えたのです。窓口の担当者は親切に対応してくれましたが、残念なことに財務諸表の問題点を指摘するのみにとどまりました。具体的な知恵やアイデアを一緒に考えてくれることはなく、徒労感を抱きながら会社に戻ったことを覚えています。
いざ自分が創業しようと考え始めると、(自分だけで何かを考えるのも楽しいのですが)誰かに話を聞いてもらいたくなります。私の所へ足を運んでくれる相談者のように、私自身が相談者として誰かに話を聞いてもらいたくなるのです。
相談できそうな人は何人も頭に思い浮かびますが、うっかり約束してしまうとただ飲むだけで終わってしまいそうです。事前にきちんと趣旨を伝えた上で話を聞いてもらうように仕向けなければいけません。ちょうど息子と墓参りに行こうと考えているので、その時にでも知人に話を聞いてもらおうかと考えているところです。
今日も経営者と対話した
今日も地方中小企業の経営者とお話しする時間がありました。いつもながらの短い時間でしたが、会社のビジョンから始まり、さらには資金繰りの事についてまで意見交換できました。私と対話することを待ち望んでくれている経営者のお一人ですが、私が一方的に何かを与えているのではなく私自身も貴重な刺激を受けています。
他の誰もができるような仕事を始めたとしても、それは創業にはなりません。創業と生業というのは全くの別物。生業を悪いと言っているのではありません。既存の何かと何かを掛け合わせ、これまで社会になかった新たな価値を生み出すのが創業の本質のはず。今、頭の中にあるアイデアで具体的な一歩を踏み出すのかどうかまだ決めていませんが、いつも私が相談にいらした方に申し上げているように「やりたいことがあるならさっさとやれば良い」のだと考えています。
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