連休の最終日に考えていること
今日で大型連休は終了。雇われている時のような憂鬱な気持ちにはなっておらず、明日からの仕事が楽しみです。
サザエさん症候群
日曜日の夕方頃に翌日からの仕事や学校を考えてしまい、憂鬱になることがありました。小学校の頃とか特に多かったように記憶しています。こうした気分をサザエさん症候群と呼ぶことがあるそうです。小学校の頃にサザエさん症候群になっていたのは先生がやたらと厳しかったのと、それを受け流す技術をまだ身につけていなかったからでしょう。勤め始めてからは出勤するのが嫌で嫌で仕方なくて、気分が落ち込んでいたのは明らかでした。
ところが中小企業支援家に転身し、さらに2年前から自営業に移行してからはそうしたことは一切なくなりました。日曜日の夕方になっても憂鬱になることはなく、逆に翌日からの仕事が楽しみなくらいです。今日もほとんどの社会人は連休最終日を迎えて憂鬱になっているのでしょうが、私は特になにもなくて普段通り。「あぁ、連休を楽しんだな。明日からは仕事だ!」といった感じ。かつての自分と比較すると劇的な変化です。
休み明けの仕事が憂鬱にならなくなったのは、自分の人生を自分でコントロールできるようになったからだと考えています。小学校のように先生にすべてを管理されているわけではありませんし、雇われている立場の頃のように時間を切り売りして生活しているわけでもありません。自営業であるからには何をするもしないも自分の自由で、そこから得られる報酬はすべて自分のものです。やったらやっただけ還元される自営業の仕事は面白くて仕方ないのです。
また、連休中も完全に仕事のことが頭に思い浮かんでいなかったわけではなく、本や新聞を読みながら構想を練ることができました。普段とは違うモードで思考することができたので、早く実践したいとわくわくしているところです。
よく遊び、よく働け
人は誰しも1日24時間、1年365日を等しく与えられています。その時間をどう使おうが自由です。刹那的な遊びに明け暮れても良し、何かを学び続けても良し。誰かにどうこう言われる筋合いなど無く、時間をどう使うかは本人が決めればよいのです。
その上で、私はどうやら寸暇を惜しんで働くことができる性格ではありません。ましてや睡眠時間を削って何かをするというのも絶対無理。大学のゼミ合宿で何かを作業する機会があったのですが、徹夜を強いられそうになったので早々に離脱して寝てしまったことがあるくらいです(それ以来、ゼミから足が遠のいた)。しっかり遊んで、それ以上にしっかり働く。私の時間の使い方はそんな感じです。
同じように食事の時間を削ることもあり得ません。例えば昼食を抜いてまで何かをするなんて考えられなくて、非効率もいいところだと思っています。どんなに忙しくても水分補給と食事の時間は絶対に確保するようにしています。前職では食事時間は15分くらいのことがほとんどでした。就業規則で休憩時間が1時間と定められているから1時間は仕事を絶対にしないというのではなくて、食事の時間が確保できればそれでいいのです。
寝る間も惜しんで働ける人は体力や気力が充実しているなぁと素直に尊敬してしまいます。知人でもそうした人がいてバリバリと働いている様子。私にはとても真似のできることではありません。でもその人と私を比べて、働いている時間に比例して何かが変わっているかと言われるとそこはよくわかりません。働いたら働いた分だけ幸せになれるわけではどうやらなさそうです。
連休は楽しかった
この4日間は毎日、アマチュア無線を楽しむことができました。交信するためには山にも登ってしまったくらいです。最終日の今日は自宅のベランダから交信をし、何度かお話ししている局長さんと次の休みにどこで無線運用をするかなどで盛り上がりました。
友人とも話したのですが、子どもが相手をしてくれる時期というのはいつか終わりがやってきます。というより、わが家はすでに終わってしまった模様。となると一人での遊び方を思い出さないと、この先の人生を楽しむことができません。遊べる時にしっかり遊び、それ以上に社会に価値をもたらすことができるように働く。そのバランスが大事だと考えています。
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