Amazonの購入履歴を見て考えたこと
今日は土曜日なので最近考えていることをつらつらと書いてみます。
Amazonの購入履歴を眺めてもまったく記憶にない
今朝の日本経済新聞を読んでいたら、面白そうな小説が紹介されていました。基本的に書評を読んでもすぐに買わないようにしているのですが、好きなタイムマシンものの小説だというのでさっそくAmazonで検索してみました。
〈リーダーの本棚〉九州電力社長 池辺和弘氏
日本経済新聞 電子版 2024/4/6
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO79814090V00C24A4MY6000/
ところが表示されたのは「前回の購入日:2007/3/6」というもの。まったく記憶にないのですが、どうやらすでに読み終えている模様です。その頃は家業の法人外商で営業担当をしていて、行き帰りの大江戸線でさんざん読書をしていた頃のはず。あらすじを読んでも記憶がよみがえらないのが情けない限りです。
一度、タイムマシンものの小説を読もうと心に決めてしまっていたので、他の本を探すことにしました。お勧めで表示されていたのが『マイナス・ゼロ』広瀬正。これは読んだ記憶がある(ような気がする)のですが、Amazonで購入したという履歴は表示されません。読んだつもりになっているだけなのか、どこか他の本屋で購入しているのか、祖母の家の本棚に入れっぱなしなのか。とりあえずKindle版を購入してしまい、今読んでいる本の次に手に取ってみることにしました。
40歳後半になっても気力や体力の衰えはそれほど自覚していません。酒に弱くなったくらいでしょうか。それでも今回のような出来事をきっかけに、過去の記憶がすっかり抜け落ちていることに気づいて愕然とすることがたびたびあります。人は誰しも1歳ずつ年を重ねていくもの。自分も間違いなく人生の後半を歩みつつあるわけで、いつまでもかつてのような若さを持っているわけではないことを自覚しなければいけないなと感じています。
塾に通うのを罰ゲームにするな
先日、息子が塾で使うノートをリュックに入れ忘れたそう。それを講師に伝えたところ、「罰として22時まで残るように」と言い渡されたとのことです。居残ってノートが出てくるわけでもないですし、頭がよくなるわけでもありません。そのように考えたのかどうかわかりませんが、息子は22時まで残ることなくさっさと帰宅してきました。我が息子の思考回路が私と似てきているなぁと感じた出来事でした。
罰として塾に残留させてしまうと何が起こるか。「塾に残る=罰」という事実が生まれてしまいます。講師にもいろいろ考えがあったのでしょうが、下手な打ち手だったのではないかと思います。受講料を得て事業を営む経営モデルを採用しているのに、塾で過ごす時間を「罰」としてしまうのは本末転倒。私だったらノートを忘れた生徒に下手な罰を課すのではなく、この機会を逆手に取って、他の体験を与えて勉強に興味を持たせるようにしたことでしょう。
罰というと思い出すのが高校ボート部での体験。代々、大学生が学生コーチとして指導をしてくれる体制で、私たちのコーチは罰走などいっさい用いない指導をする人でした。OBになってから聞いたのは、「罰走させても強くならない」という一言。「苦しい時にもっと苦しめ」と高校生相手に厳しく指導してくれた先輩ですが、合理的な指導という点では数十年前当時でも先進的な取り組みをしてくれていたと感謝しています。水もたくさん飲ませてくれましたし。
趣味は楽しむのが大事
茶道教室に通っていて、週一回のお稽古を楽しみにしています。今日もお稽古に行ってきました。他の教室の様子がわからないのですが、私が通っている教室ではどれだけミスしようが叱られることはありません。「さて、次にどう手を動かすんだったっけ」などと考えながらお点前をしていても、じっと見守ってくれるのでありがたいです。
お点前のミスを叱られたところで委縮してしまうだけでしょうし、何より趣味の時間です。他人の人生や財産を預かるような「仕事」をしているわけではないので、楽しんで充実した時間にすれば良いだけ。私の感性と合う教室に巡り合えて幸運だったと、今更ながら感謝しています。
今日はいつもより早めに集合して、先輩お二人からの相伝がありました。その後に先生からお免状をいただいて、改めて茶道を楽しんで勉強していこうという気持ちになりました。このところスピンバイクの漕ぎすぎで足が太くなってきているみたい。そのせいか、正座がますます苦手になってきたのはまだ先生には内緒にしておきます。
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