ブログを書くという行為は思考と表現の鍛錬になっている
今日でこのブログを毎日更新し始めて576日目です。
1,000文字書いたけれども没にした
このところブログの文字数は最低でも1,700文字になるようにしています。当初は1,000文字書くのもやっとだったことを考えると、(内容はともかく)文字を連ねる力は着実に備わってきているように感じます。ただし、毎日すらすらと記事を書くことができているわけではありません。夕方になってもネタが思い浮かばずに、さてどうしようと考え込んでしまう日があります。今日もそんな日になってしまいました。
今日は朝から出張。月1回の地下鉄と特急を乗り継いで顧問先へ伺う日です。行きの車内で記事を書き始めておいて、帰りに仕上げてしまおうと計画していました。仕上げるところまでできなくても、ざっくり書き終えることができれば帰宅してからの作業は微調整のみ。朝の特急の中では順調に書き進めることができていて、最初の段落もそれなりに書き出すことができていました。
私の記事は下書き無しの一発勝負。ネタを決めた後は一気に書き下していく方法です。全体を3つのパートに区切るのも書きながら見出しを決めていくことがほとんどで、最初から記事の構造までイメージしていることはまずありません。今日も2つめのパートまではざっくりと書き進めることができました。後は最後のパートを700字くらい書けば、なんとかまとまりそうだというところまで漕ぎ着けました。
ところがまったくまとめ方が頭に思い浮かばなくなりました。せっかく1,000文字以上書き進めているのに。ちょうど昨日お会いした経営者の言葉、「稼がないと生き残れない」というのをキーワードにしようとしていましたが、パタッと思考が拡がらなくなってしまったのです。時間を置いてまた書き進めるのも一つの方法ですが、今回は残念ながら断念することに。半分以上できつつあった記事は没にすることにしました。
ブログを書くという行為は思考と表現の鍛錬
こうして毎日記事を更新していくというのは、私にとっては鍛錬の一つになっています。自分が何を考えていて、どんなことに関心を持っているのか。毎日何をしていて、誰とどんな対話をしているのか。差し障りのない範囲で地方中小企業の経営者や士業に向けて記事をまとめていこうとしているわけで、日記を垂れ流しているのとは違い、ブログを書くという行為は思考と表現の鍛錬になっています。
毎日を何となく過ごそうと思えば可能なのかもしれませんが、私にとっては恐怖でしかありません。無形の商品を提供している中小企業支援家としては常に自分を鍛錬し続けていないと、いつか必要とされない存在になってしまうのではないかと心配になるのです。
実際に中小企業支援業界に身を置いていると、果たして「専門家」と呼ぶのにふさわしいのか疑問に思うような人を見かけることがあります。経営者に上から目線の「指導」を繰り返す人、大企業での経験を吐き出しているだけの人、カタカナ語でそれっぽいことを呟いているだけの人。私はそのような中小企業支援家になりたいとは思っていなくて、常に自分の軸を持って顧客に価値を提供できる存在でありたいと思っています。そのためにも過去と現状に満足することなく、未来のために鍛錬を継続しようと思うのです。
茶道のお稽古も鍛錬
文章を書くことだけが鍛錬ではありません。最近の私にとっては茶道のお稽古も鍛錬になっています。45歳で知った新しい世界は、日常とはまた別の刺激に溢れています。「新しいことを学ぶ」というのを忘れかけていた私にとっては、ただの習い事でなく鍛錬になっているのです。
ブログが「自分を出す」ための鍛錬であるとすれば、茶道のお稽古は未知のことに挑戦するための鍛錬といったところ。それなりに仕事や生活が安定していると現状を良しとしてしまいがち。しかし現状維持しているつもりであっても緩やかに衰退し始めているのは会社も個人も同じことでしょう。かつての家業が衰退していく過程を知っている私としては、自分自身も進取の気性を失わないようにしたいのです。
私が通っている茶道教室は、ありがたいことにどんどん新しいことに挑戦させてくれます。先輩方もそれを温かく見守ってくれるので、プレッシャーを感じつつも貴重な機会を楽しませてもらっています。今月はお稽古の茶事で亭主役をさせてもらいましたし、初釜では濃茶のお点前をさせてもらえることに。多くの人のご縁をいただいて茶道のお稽古という鍛錬を続けることができています。
ポッドキャスト「茶わん屋の十四代目 商いラジオ」を毎週金曜日10:00に配信しています
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