社外取締役はためらわずに諫言せよ
社外取締役に求められる役割は様々。取締役会に参加して業務執行取締役に対して意見を述べることが大きな仕事ではありますが、他にも果たすべき役割があります。
諫言とは
社外取締役は業務執行取締役に意見を述べる立場ですが、経営の重大局面においては経営者に諫言する必要も生まれます。
諫言とは「意見が受け入れられなければ、死ぬことによって主君を諌めること」。社外取締役の場合の諫言とは、つまり、辞表を懐に潜ませて、経営者にとって耳の痛いであろう意見を述べることです。この諫言を恐れていては社外取締役の役割を果たすことはできません。地方中小企業の経営者・オーナーを持ち上げるだけなら誰にでもできることで、事業を存続させるためには嫌われるのも覚悟で意見する必要があります。
例えば高額の報酬をもらい続けるために諫言をためらうようでは社外取締役失格。地方中小企業もそんな人物を選んではいけません。日頃は業務執行取締役に全てを任せていたとしても、ここぞという時に嫌われ役を引き受けるのが社外取締役の矜持です。また、無駄死ににならないようにするためには、経営者に大目的を理解してもらうことが必要です。批判のための批判は拒否反応を起こすだけなので、なぜそこまでして意見をしているのかを理解してもらうことが欠かせません。
社外取締役に就くということは、いつでも辞める覚悟で経営者に対峙することでもあります。ただの顧問契約であれば細く長く関係性を構築したいと考えますが、社外取締役は別。よほど順風満帆の企業でない限り、ヒリヒリとした緊張感を忘れずに参画するようにしています。
経営者に苦言を呈する時
私はこれまで諫言までには至っていませんが経営者に苦言を呈したことは何度もあります。地に足をつけた営業にいつまでも取り組もうとせず、補助金を天から降ってくるボーナスと勘違いしている経営者には「補助金に振り回されませんように」と言いました。もらいやすそうな補助金ばかりを探していて、営業を怠っていたからです。
また資金繰りが近い将来に破綻しそうなのに、現実を認めようとしない経営者には「現実を直視しなさい」と言ったこともあります。経営者は踏んではいけない地雷を把握しないと経営判断を下すことができません。数字に表れている現実すら認められないようであれば、地雷がいくらあっても足りないことでしょう。
いずれも業務執行取締役や監査役が黙っているから私の出番だと考えてお伝えしたもの。どこまで理解してもらえたかはわかりませんが、どちらの会社とも今でもお付き合いさせてもらっています。
逆にこうしたコミュニケーションを受け入れられそうにない会社とはどんなに好条件であってもお付き合いはお断りです。取締役として法的な責任を負う以上、無責任な仕事はできません。幇間を探しているなら夜のお店にでも行けば良いのです。
私が家業で経営者を務めていた時に心掛けていたのは、悪いニュースほどさっさと伝えてもらえる文化を築くことでした。いかにも経営者が喜びそうなニュースを耳に入れようとする従業員よりも、些細なことでも悪いニュースを教えてくれる従業員の方が私にとってはありがたい存在でした。
経営の選択肢を担保するための意見を躊躇わない
新規のお声をかけてもらった時に真っ先に確認するのが経営者のお人柄。こればかりは(ほぼ)持って生まれたものなので私がどうこうすることはできません。私をどう使うつもりなのか、いざという時に腹を括れる方なのか、もちろん諫言を受け止める度量をお持ちなのかどうかを私なりに診させてもらっています。
行政のプロジェクトに関わっていたときは、公的機関という性質上、来訪者を選別することは許されませんでした。びっくりするような経営者が来てもぐっと堪えて対応する必要があったのです。しかし、今は自営業なので企業も私を見定めようとするはずですが、私も顧客を選ぶことが可能です。補助金ばかりに目が眩んでいる経営者とは組みませんし、変化の必要性を理解せずにいつまでも行動しようとしない経営者とも組みません。
感性の合う人とだけ仕事をしたいというのが私の願い。そして万一、その経営者に危機が訪れようとするのであれば躊躇わずに意見を申し上げて、経営の選択肢を担保してほしいと考えています。
ポッドキャスト「茶わん屋の十四代目 商いラジオ」を毎週金曜日10:00に配信しています
関連記事