運が良かったなと思っていること
社会人人生を振り返るとなんて運が良かったのだろうと思うことがあります。
自力で何かを切り開いてきたということはまったくなくて、周囲に助けられてこれまで歩み続けることができています。
家業の代表取締役を務めていたとき
家業の代表取締役を務めていたときには以下のような運に恵まれたと思っています。
・素晴らしい番頭さんと取締役会メンバーに恵まれた
・幹部従業員が退職することなく、最後まで支えてくれた
・銀行が損失を被る覚悟を持ちつつ、事業譲渡完了まで支援し続けてくれた
・仕入先さんが商品を供給し続けてくれた
・事業譲渡を完了するまで退職者が続出することなどなく営業を続けることができた
失速寸前の飛行機を操縦するとはこのことだろうと考えながら経営していましたが、周囲に助けられて事業を存続させることができました。
取締役、管理職、一般従業員には大変恵まれた経営者であったと自覚しています。業績が窮境に陥りつつも、彼ら彼女たちが会社に残っていてくれたことはありがたいことでした。私自身が採用した従業員では無いので、まさに運が良かったのです。
また社外の支援者にも恵まれていて、銀行、仕入先には時に厳しい意見をいただきつつも、最後まで一社からも見放されることなく支えてもらえました。
こうしたことを「運が良かった」と表現するのは少し違うのかもしれません。しかし、いくつもの奇跡が重なって役割を果たすことができたのは事実です。周囲の方に恵まれた自分は運が良かったのだと思うことにしています。
中小企業支援家に転身してから現在に至るまで
2015年3月に家業を畳んでから現在に至るまでも、運に恵まれているなと感じることが多くあります。
・求人広告を目にしたことをきっかけに中小企業支援家に転身した
・日経BP社に営業したら、家業の事業譲渡に関する記事の掲載に繋がった
・支援事例が経済産業省のコンテストで優秀賞を受賞した
・感性の合う顧問先に契約してもらえた
・仕事が途切れることなく続いている
家業を畳んだ後はこの先どうやって食べていこうかと不安になったものでした。とりあえず東京に帰ったものの、「会社を倒産させた元社長」が社会に受け入れられるのかもわかりませんでした。
そんな時に日本経済新聞で見かけた求人広告が中小企業支援家に転身するきっかけになりました。もし社長を退任した後に新聞の購読をやめていたら、今の私は無かったことでしょう。新聞を読み続けていて、さらに、普段は気にもしていなかった求人広告を目にしたのはまさに運が良かったのだと思います。
行政が設置した事業相談窓口の仕事を始めてからも、運の良さを感じることの連続でした。それまでの人生でまったく縁のなかった地域にも関わらず、多くの事業者との出会いがあり、与えられた役割を果たすことができました。遺した支援事例を辿っても、活動の結果であり、表面上のことに過ぎません。ひとつひとつの出会いがあって初めて支援事例に結びついたわけで、途切れることなく多くの事業者と出会えたのはまさに運が良かったのだと痛感しています。
現在は完全に自営業に移行し、岡田事務所として仕事をさせてもらっています。当初は集客に苦労することも覚悟しましたが、前職を退職してから途切れることなく仕事をいただけています。さらにありがたいことには、感性の合う方とばかりお取り組みできています。家業の代表取締役をしていた時と同じく、文字通り、周囲に生かされている日々です。
運の良さはどこからやってきているのか
これまでの人生は本当に運に恵まれてきたと思っています。自分でも怖いくらい。
世の中すべてのことには裏表が必ずあります。これまで良い思いをしてきたということは、いつか必ず苦労する局面がやってくるはず。その時が訪れたのであれば、高校ボート部でコーチに言われたように「苦しい時にもっと苦しめ」を心がけたいと思っています。苦労を苦労と思わない性格なのかもしれませんが。
運の良さを感じるということは、それだけ周りに助けられてきたということ。いつも誰かに見守られているありがたさを自覚して、社会人人生を歩んでいきたいと思います。
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