地方中小企業の経営者経験を経て自分が変わったこと
家業の代表取締役を5年間務めました。
この経験で自分がどのように変わったのかを整理してみます。
サラリーマンも経営者も経験したからこそ今の自分があります。
大抵のことには動じなくなった
家業の代表取締役を経験して、
自分でも変わったなと思うことの一つは、
大抵の出来事に動じなくなったことです。
地方中小企業には日々、様々なことが起こります。
特に1990年頃から業績が悪化していた家業だったので、
経営に関しては非常に濃い経験をさせてもらいました。
例えば、
数ヶ月先の運転資金の不足が見込まれるため、
メイン銀行へ支援の要請をしに行く
(そして厳しく叱責される、、、)
株式を持ってもらっている取引先に悪化してしまった業績の報告をし、
継続して取引をしてくれるように要請する
十分な処遇をしてやれない従業員の不満が高まるので
労使協議の場に経営者自らが出席する
といったことを経営者として最前線で経験しました。
こうした出来事が日々続くと、
何か起こるのが当たり前のように感じてしまい、
大抵の出来事に驚くようなことはなくなっていきました。
感情がなくなったというのとは違って、
「さて、次は何が起こるのだろうか」
「次の困難にも真っ正面からぶつかってやるぞ」
と変な耐性が身についてしまった感じです。
そもそも私の座右の銘は
「苦しい時にもっと苦しめ」というもの。
高校ボート部のコーチの言葉で、
苦しいトレーニングから逃げがちな僕らに授けてくれました。
私は選択肢があるのであれば、困難な道を選びます。
結果、ゴールにより早く近づくことになると信じているから。
イヤなことはさっさと先に片付ける。
経営者経験で学んだことの一つです。
人生の残り時間を意識するようになった
幼い頃から社長に就くように言われていたものの、
実際に務めた期間はたったの5年間でした。
まさかこんな短い時間で終わってしまうとは
私も周囲も想定していなかったはず。
いざ退任してみると、
この先どのように第二の社会人人生を過ごそうかと、
頭が真っ白になったことを今でも覚えています。
家業という人生の柱の一つが無くなった時に考えたのは、
人生は有限で、1日24時間、1年365日というのは誰しも同じ条件ということ。
であるならば、やりたいことをやって、
かつ、自分だけが提供できる価値を生み出し、
残りの社会人人生を生きていきたいと思うようになりました。
そう考えると
安易にサラリーマンに戻ることは選択肢から消えましたし、
資格を持っていたとはいえ、
細々と社会保険労務士事務所を経営することもあり得ませんでした。
残りの社会人人生で何をするか。
さらにはそこでどう食べていくか。
こうした思考をするようになったのも
経営者経験があったからだと思っています。
商売の魅力に取り憑かれた
家業を立て直すことはできなかったものの、
その糸口は自分なりに掴むことができていました。
しかし時間切れで投資ファンドに事業をお渡しすることに。
事業を存続させることができた安心感はあるのですが、
商売人として不完全燃焼であったことは事実です。
その後、中小企業支援家に転身し、
多くの経営者や創業を志す方と対話を重ねました。
私が魔法の杖を振るうような支援はしてこなかったつもりですが、
ささやかに売上アップ事例は蓄積されてきています。
商売に方程式やショートカットは存在しないと信じています。
ただし、失敗しないための原理原則はどうやら存在します。
例えば、
先に集客をする、
見込客には売り込まず向こうから選んでくれるように仕向ける、
知ってもらうための情報発信を行う、
といったこと。
こうした知見を自分の中で確たるものとして持つようになると
やはり、またいつか商売の現場に戻りたいと思うようになります。
経営者経験(とその後の中小企業支援経験)があるからこそ、
商売の魅力に取り憑かれてしまったのでしょうか。
まとめ
個人事業主や経営者は全国に数百万人いることでしょう。
その多くの人にとっては毎日が当たり前の連続ですが、
立場が異なる人、例えばサラリーマンなどからすると
日々、強烈な体験を重ねています。
私の場合は期せずして第二の社会人人生がやってきました。
経営者経験を生かしてこの先も進んでいきたいと思っています。
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