春は決断の季節
そろそろ4月。
これまでの社会人人生での決断を振り返ってみます。
社会人人生は決断の連続
これまでの社会人人生を振り返ると決断の連続でした。
「家業に入る」と決めたこと。
「京都に行く」と決めたこと。
「代表取締役になる」と決めたこと。
「事業譲渡する」と決めたこと。
「行政の設置した施設で中小企業支援に携わる」と決めたこと。
「中小企業支援家として独立する」と決めたこと。
家業に入ると決めたのは大学3年生の時。特に就職活動をするつもりもなく、幼い時から祖父に言い含められていたのをそのままに、家業に就職すると決めました。学生の間は百貨店と自営店の店頭でアルバイトを続け、商売の基礎を学びました。
京都に行くことになったのは2009年。人事異動ではあったのですが、いよいよ経営に関わり始めるのだなという予感がありました。ところが業績は悪化し続ける一方で、一従業員としても将来に不安を感じながら働いていたことを覚えています。
父から社長を交代するように打診されたのが2010年の初め頃。メイン銀行から遠回しな意思表示があったそうで、打診と言っても我々親子には実質的な選択肢はなく、事業を存続させるために腹をくくって事業承継することを決めました。
代表取締役として経営を担いながら、第三者への事業譲渡をせざるを得ないと決断したのは2014年初め。取引金融機関に応援し続けてもらってきたものの期待に応えることができず、自力での経営再建を断念することにしました。まだ少しでも余力のあるうちに決断することで、会社ではなく「事業」を存続させようと考えたのです。
中小企業支援という仕事に興味を持ったのは2016年夏。日本経済新聞に掲載されていた求人広告を見て、それまで縁もゆかりもなかった福岡県で働こうと決めました。応募を決めた瞬間に自分が選ばれるだろうというのは予感していたものの、後から150人以上の応募者の中から選抜されたと知って驚きました。応募者の何人かとはその後にご縁をもらうことができました。
中小企業支援家として独立したのは一年前。個人事業主として活動を始めました。
決断には不安がつきもの
こうして過去の決断を振り返ってみると、前に進むための決断もあれば、何かを振り払うための決断もありました。その時々、自信に満ち溢れて決断していたわけではなく、「家業を倒産させてしまったらどうしよう」とか(実際に倒産させましたが)、「中小企業支援の仕事で結果を出せなかったらどうしよう」とか、「独立したものの、どこからも必要とされなかったらどうしよう」などと不安を抱えていたのが実際のところです。
不安の正体を突き詰めると、私の場合は「先がどうなるかわからない」というところに行きつきます。今でも過去を振り返って「あの時、あっちの道に進んでいたらどうなっていただろう」などと考えることもあります。
ただ、選択した先の人生でバタバタと動いていたらどうにかなり続けてきたのがこれまでの社会人人生。運と周りに恵まれただけだとも思いますし、正しく努力し続けて、選択肢が結果として正しいものとなったのかとも思います。
決断するから挑戦できる
これから何かを決断しようとしている人や、決断した後に不安に感じている人に伝えたいのは、すべてがうまくいくなんてあり得ないということ。
家業の代表取締役に就任した後は、失速し続ける売上に頭が真っ白になったり、不祥事を起こしてしまって銀行から信用を失うかと覚悟をしたり、事業譲渡を完了する直前まで資金繰り表に頭を悩ませたりと、祖父や幼い私が思い描いていた社長像とはかけ離れたものでした。それでも最後はなんとか事業を存続させることできて、満点ではなかったものの最低限の軟着陸を果たすことができました。
当時を思えば中小企業支援の仕事というのは天職で、過去や家族に拘束されることなく自由に腕を振るって地方中小企業に貢献することができます。ただ、当初はいろいろ理不尽なことがあったのも事実で、家業しか知らなかった私にはびっくりするようなことが多くありました。
決断の後に控えているのは挑戦です。挑戦は決断するから与えられるもの。成功体験らしきものばかりが目立つ世の中ですが、その裏には同じ数以上の失敗や苦労が潜んでいます。私のように一度は社会人人生に失敗したとしても、その失敗を糧にして挑戦し続ければ良いのです。決断できることを幸せに捉え、失敗したとしても挑戦できたことに感謝できるように生きていきましょう。その先にささやかな成功があるはず。
関連記事