第2の社会人人生をどう生きるか
江戸時代から続く家業を事業譲渡し、
中小企業支援家として活動しています。
家業を倒産させた経験を今の仕事に生かしています。
倒産した経営者の姿
経営破綻した元経営者とお話しした際のこと。
大変お世話になった方なので、
落ち着いた頃を見計らって食事にお誘いしました。
私としては2人だけの慰労会といった気持ちでした。
当日話したことを詳しくは描写できませんが、
残念ながら事業を畳むことにはなってしまったが、
次の仕事を決めた、と前向きに報告してくれました。
私はその姿に大きな衝撃を受けました。
会社が倒産したといっても
人生が終わるわけではないですし、
それまでの生き方を
誰かに否定されたわけでもありません。
何らかの要因で
商売を持続させられなかっただけの話で、
また次に何かに挑戦すれば良いだけのこと。
失敗体験があるだけ、
次の成功確率は高まることでしょう。
ある事業の経営では失敗してしまったかもしれませんが、
すぐに次の社会人人生に踏み出そうとする様子は
かつて一緒にお仕事をさせてもらっていた時のように
頼もしい経営者の姿でした。
倒産した事実を隠す経営者
別の経営者の話です。
事業が破綻しているにも関わらず、
どうやら誰にも知られたくないと隠している様子。
狭い地域なので噂はすでに広まっていますし、
倒産情報を検索すればすぐに表示されています。
隠したところで何かを得られるわけではありません。
自分から詳らかにして、
ピンチをチャンスに変えるべく次の挑戦に繋げればよいのにと
何度かお話ししたことがあった方だけに残念に感じました。
経営者が事業を倒産させたという事実を、
第三者は「上手くいかなかったんだな」と捉えるだけ。
世の中、
成功しているように見える経営者ばかりが目につきますが、
その裏側には同じ数以上に、
失敗や苦しい思いをしている経営者が存在しています。
自分が失敗の当事者になってしまうと、
ついついその当たり前を忘れてしまいます。
失敗があるからこそ成功も存在しうるわけで
犯罪や人を騙した結果の倒産でなければ
「今度の商売は失敗しました、
この経験を次の挑戦に生かします」
とすれば良いだけの話です。
雇われるだけの人生を歩んでいる人や
たまたま今うまく行っている経営者と比べると
事業を倒産させたことは
みっともなく、恥ずかしいと感じるかもしれませんが
それは倒産させた一瞬に感じれば良いのです。
倒産したからこそ次の挑戦に進めるわけで
自分の中で切り替えるためにも
こそこそと失敗を隠す必要はありません。
父親の言葉
先日、持病を持つ父親が意識失う直前に
私の名前を呼びながら「何にもしてやれなかった」
と絞り出すように言っていたそうです。
※持病でたまに意識を失うだけで元気?にしています
父は、窮境に陥った家業を私に事業承継したことに、
引け目を感じているのかもしれません。
ただ、事業承継のタイミングは巡り合わせですし、
代々受け継いできた当代は
それぞれ重圧を感じながら経営に当たってきたことでしょう。
私だけが困難な状況下で経営を担ったとは全く思いません。
例えば、
戦前戦後の混乱期に比べたら、
私が社長を務めた5年間ははるかに恵まれた環境でした。
それでも結果を残さなかったのは私の責任です。
ただ、最低限の義務は果たして、
事業を存続させることはできました。
家業を倒産させたといっても
成功があれば失敗もあるように、
地方中小企業によくある倒産事例の一つです。
大事なのはその後の社会人人生で
失敗体験を生かして社会に還元すること。
私の場合は支えてもらう立場から、
中小企業をお支えする立場に転身し
ささやかに成果を残すことができています。
まったく畑違いの業界に転身しましたが、
7年目を迎えることができているのも
家業の経営者を務めた経験、
家業を倒産させた経験があるからだと思っています。
仕入先様や金融機関、
従業員に支えられて何とか家業を事業譲渡できましたが。
私にとっては苦い経験でもあり、
最低限の義務は果たせた経験でもあります。
成功と失敗は表裏一体。
経営者がもし事業に失敗したとしても
その後の社会人人生で社会に貢献すれば良いのです。
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