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コラム

経営者の責任について考える

地方中小企業の経営者が背負う責任には
どういったものが考えられるでしょうか。

信号が赤に変わるのも経営者の責任

代表取締役は、意思決定機関である株主総会や取締役会の決議に基づき、単独で会社を代表して契約等の行為を行うことができる。それとともに、代表取締役は会社の業務を執行する。日常業務については取締役会からその決定権限が委譲されていると考えられており、自ら決定も行い、執行する。
(Wikipedia「代表取締役」より)

つまり、株式会社を想定すると、
代表取締役は株主総会・取締役会などから権限を与えられて
会社の業務を執行するトップであり最終責任者です。

これだけの権限と責任を与えられている代表取締役は、
何かがうまくいかないからといって言い訳をすることができません。
事業を取り巻くあらゆる出来事により発生する結果は、
すべて代表取締役の責任なのです。

中小企業支援に関わっていると
様々な経営者とお話しすることがあります。
中には経営の責任について自覚されていない人もいて、
例えば

「コロナのせいで売上が下がっている」

「当てにしていた補助金を受給できなかったから困っている」

「人手が足りないので思うように生産できない」

といったことを平気で口にされます。

要は
「現在の経営不振は自分のせいではなく、外部環境のせいだ」
と伝えたいようなのです。

経営者の責任を自覚されているのであれば

「コロナのせいで売上が下がったが、○○といった対応をした」

「補助金を受給できなかったが、別の手段で資金を調達した」

「人手は足りないが、別の手段で生産性を向上させた」

といった行動をすべき。

極論すれば、
会社の前の信号が赤に変わるのも経営者の責任ですし、
従業員が思うように働いてくれないのも経営者の責任。
雇われる立場の人からすると理不尽に感じるかもしれませんが、
経営者の責任というのはそれだけ重いものなのです。

過去も含めて現在の経営者の責任

私が家業の代表取締役に就いた2010年当時、
1990年頃から業績は悪化し続けていて、
会社は実質的に銀行管理下にありました。

本業だけで満足な運転資金を生み出すことができず、
銀行からの支援を得ることで、
何とか存続が可能な状態だったのです。

まったく至らない経営者でしたが、
私が心に決めたことの1つは
「会社の過去のことも含めて責任を取る」
ということでした。

従業員はほぼ全員が私より年上。
1990年頃の業績のピークとその前の成長期に、
バリバリと働いてくれていた人が多く残っています。
また同時に、
経営がイノベーションを怠り、
事業が窮境に陥る過程でも耐えてきてくれた従業員ばかり。

そうした従業員と一緒に働くのに
「現在の業績不振は私の責任ではない」
「なんであの時にさっさと○○しておかなかったのか」
などと口に出したり、考えることはできませんでした。

在任中の出来事についてすべての責任を負うのは当然で、
さらに会社の過去も直視することが私の務めだと考えたのです。

赤信号

信号が赤に変わるのも経営者の責任です

行動するもしないも経営者の自由

ある人から創業の相談?報告?を受けた時のこと。
法人さえ設立すれば、
それが創業だと勘違いされているようでした。

事務所がどうとか、営業時間がどうとか、
事業の本質と関わりの無いところばかりが
気になってしまっているご様子。

何でどれくらい稼いで、
競合との違いをどう生み出していくのかなど、
経営者として考えることはいくらでもあるはず。

しかし彼は、
社長になれば自動で商売が回っていくというような
まったくあり得ない妄想に取り憑かれてしまっているようでした。

代表取締役になるのであれば、
働くのも働かないのも自由。
結果を出せるのであれば、
誰かに気兼ねして仕事をする必要もありません。
こうした雇われる立場と経営者の違いをお伝えしたところ、
思っていた創業や経営の姿と違っていたようで
その後、連絡は途絶えてしまいました。

ある国の総理大臣経験者はその立場を
「どす黒いまでの孤独」
と評したそうです。
地方中小企業の経営者も、
ある側面では似ているかもしれません。

事業の経営を通して、
自由に未来を切り開いていく可能性を得られる一方、
経営者は大きな責任を負うことになります。
プレッシャーを楽しみながら
経営できるようになりたいものです。

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