地方中小企業が持続可能性を高めるための踏み台になります

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コラム

中小企業支援家に転身した当時の心境

2017年1月に自治体が設置したビジネス支援センターに転職しました。150名を超える応募者の中から選んでもらえたと聞いています。
その当時、どのようなことを考えていたか、インタビュー記事から抜粋します。

経営者から「支える側」に転身

新聞広告でセンター長を公募する求人広告が目に留まり、手を挙げた。ちょうど同時期に他地域でも同様の求人があった。関西なら友人、知人がおり、土地勘もあるが、真っ新な土地に飛び込み、チャレンジしようと考えた。採用面接では、地方の中小企業の社長をやって悪戦苦闘した経験を生かし、ご苦労されている方々の話を丁寧にお聞きできると話した。

筑豊地域と京都の共通点

筑豊地域には日本の近代化や高度経済成長を地の底から支えた、とのイメージを持っていた。石炭産業での繁栄から落ち込みは余りにも激しいが、浮揚の可能性がある地域だと思っている。気質は京都の人に似ている。良い意味で保守的で、安っぽいことには安易に飛びつかず、じっくり見定めて新しいことに取り組もうとするし、人との繋がりを大事にしてくれる。京都で培ってきた人との関わり方を生かせる土地だ。

ノートパソコンとカメラ

インタビューを受ける時には記者さんのカメラが気になります

「今より良くなりたい」と考える経営者とともに走る続ける

インタビューは上記のような内容でした。経営者から中小企業支援家への転身。周りから見ていると驚くような立ち位置の変更に思われたかもしれませんが、私の中ではそれほど大きな葛藤はありませんでした。

地方中小企業の経営者が望むことは、突き詰めれば「今より良くなること」です。私が家業の代表取締役を務めていた任期中も、業績が悪化し続ける中で新規事業に取り組めないかとは常に考え続けていました。オリジナルブレンド米を店頭で販売したり、京野菜の生産に携われないかと構想したりといった具合です。

また過去の資料を紐解けば、戦後まもない次期に法人化してからの家業の成長は、常に革新的な事業に挑戦すること無くして成し遂げられなかったことがわかります。頒布会形式での販売や、今では当たり前のように行われている店頭での演出や陳列も当時はまさにイノベーションだったのです。

老舗は当たり前に存続しているのではなく、しなやかに変わり続けてきた結果、老舗と呼ばれるようになるもの。私自身は家業を事業譲渡せざるをえなくなり、商売の現場に立てなくなりました。しかし、中小企業をご支援する立場になれば、また商売に関わることができると考えました。実際に5年間で2,600件以上の個別相談を実施。多くの支援事例を生み出すことができ、「今より良くなりたい」と考える経営者とともに現在も走り続けています。

今日はこの後、事業譲渡の経緯と中小企業支援事例をお話ししてきます。また多くの経営者と繫がれることを楽しみにしています。

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