地方中小企業が持続可能性を高めるための踏み台になります

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コラム

会社を倒産させても人生が終わらなかった話

江戸時代から続く家業を投資ファンドに事業譲渡し、
その後は中小企業支援家として活動しています。
家業を倒産させても第二の社会人人生を歩めています。

家業を倒産させた

日経BP社の単行本「なぜ倒産 令和・粉飾編」
収録されているように、
私は江戸時代から続く家業を
投資ファンドに事業譲渡しました。

ちなみにサブタイトルの「令和・粉飾編」というのは
私の事例に限ってはミスリードでして、
「粉飾決算をしなかった経営者は
このように次の人生を歩んでいる」、
という捉え方で取り上げてもらっています。

要は代々続いてきた家業を
私の代で倒産させたわけですが、
ありがたいことに現在もなんとか食べられています。

それどころか、
中小企業支援家として
一定の成果を生み出すこともでき、
顧問先にも恵まれています。

中小企業支援家としてのご支援事例

2017年に中小企業支援家に転身してから、具体的にどのようなご支援をしてきたのかをまとめました。 ※メディアに支援事例として掲載されたものだけを抜粋しています コンサルティングの主役はあくまで事業者です。私の基本的な立ち位置は経営者のための「踏み台」のようなもので、行動するのも成果を得るのも…

岡田事務所に寄せられた顧客の声

昨日のブログで「お客様の声を生かそう」と書きました。 サイズや価格などの数字情報だけでなく、 他のお客様からの感想なども見込客に伝え、 商品やサービスを選んでもらう確率を 高めようという内容です。 では、 私のコンサルティングに、 どのような感想をいただけているかを紹介します。…

こうして
第二の社会人人生を歩めているのは
我ながら不思議な感じです。

失敗体験を前向きに生かす

家業を倒産させた当時、
2015年3月頃に考えていたことは
「いろいろ片付いたから東京に帰ろう」
ということだけでした。

京都の会社ですが私は東京生まれ。
父までは京都生まれで、
私が代々の当主で初めて東京で生まれ育ちました。

そのため家業が無くなったのなら
また東京で出直そうという考えでした。

東京に帰って団地を借りたものの、
特に仕事はありません。

息子の誕生日に社会保険労務士岡田事務所を
立ち上げはしましたが、
経験もご縁も無い士業に
いきなり仕事などあるわけがないのです。

家業に束縛されない第二の社会人人生。
しかしゲームのように
過去がリセットされるわけでもなく、
「みじめさ」だけが徐々に蓄積されました。

転機は新聞に掲載された求人広告でした。

ある地方自治体によって、
ビジネス支援センターが設立され、
責任者を公募するというのです。

地方中小企業の経営経験があれば、
同じ経営者の役に立てるだろうと考え、
応募したのは2016年夏。

ありがたいことに
150人以上の応募者の中から選ばれました。

後から伺うと、
私が選ばれた決め手は
コンサルティング能力ではなく
家業を倒産させた経験だったとのこと。

地方中小企業の経営者と向き合うのに、
失敗体験のある元経営者なら
丁寧に耳を傾けるだろうと考えたそうです。

公園で悩むサラリーマン

家業を倒産させた当時はまさにこんな心境でした

家業が無くなっても人生は続く

私の経験から言えることは、
大きな逆風に見舞われた出来事であっても
将来に生かす道はあるということ。

成功体験ばかりが目につく世の中ですが、
困難に見舞われたり、
悔しい思いをしている人はたくさんいます。

当たり前のように成功できない自分を
責めることもあるでしょう。
また何より将来に大きな不安を感じるものです。

しかしそういった「大きな逆風」は
誰しもが経験できない貴重な学びの機会でもあります。

困難な経験から何を学び、何を次に生かすのか。
すべては次に繋がっているのです。

学び続け、努力し続けていれば、
どこかのタイミングで転機は訪れます。
私がふと、新聞広告を目にしたように。

もしも家業を畳んだ当時の自分に会えるならば、
「次に繋げろ」と伝えます。

「禍福はあざなえる縄のごとし」
まさに地方中小企業の経営者のための言葉です。

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